Jack-O the Ripper website - Index - Contents - ミモズク逸話



然る山奥深くにあるちいさな村落、浮名村。
村から続く参道を通って、燦然橋とよばれる古い吊り橋を渡った先に、
朽ちた瓦礫に囲われながら一本の大樹が立っていた。
浮名村が村を成すずっと以前、いまはなきなんらかによって
祀られていたらしいこの神依木には、
豊穣を取り寄せる神"御水雲様"が住まっていた。

浮名村には、定められた日、村の収穫物をこの木の足元に捧げ、
かわりに村の実りのご利益を授かってくる習わしがあった。
浮名村の人々に発見されるまで、長らく放ったらかしにされ、
ひもじさに苛まれていた御水雲様が、喜んで承諾しものだ。

"御水雲様"とは、浮名の村人たちが勝手に呼び始めた名だったが、
もともと己がなんだったのか、誰に祀られていたのか、
この神木に宿った神は、浮名の村人とはじめて邂逅したとき
すでに記憶おぼろげであったため、この名をすんなり受け入れた。

総じてあまり深いことは考えず、簡単に納得する気だてだったようだ。
元からそうだったのか
成るように成ったのか
いまとなってはわからない。

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ある年、秋の訪れを告げる激しい嵐が吹き荒れた頃。
収穫物が届けられるはずの日に、浮名村からの訪問がなかった。
そういうこともあるか、と最初はとくに物思いもしなかったが、
さらに幾日過ぎても音沙汰なしとなると、いよいよひもじさに迫られた。
ひもじいといえば、前にもこんなことがあったような気がする。
前といっても随分昔の話だったような気もするが、
思い出してしまえばつい最近のことだったようにも思える。
兎に角、これはそういうことなのだろう、と御水雲様は納得したのだった。

それからどれだけ経ったのか、御水雲様には分からなかった。
なにせ、一度納得したあと、空腹の気を紛らわすため、
ずっと不貞寝を決め込んでいたのだ。

目が覚めたのは、久方ぶりに訪問者の気配がしたからだ。
みると、齢十に満たないかというおさなごの身形をした娘がいた。
衣服は酷く汚れて、ところどころほつれ、破けており、
髪は乱れ、体はやつれ果てているようだった。

 大嵐のとき、山と山を繋いでいた燦然橋のつるが切れ、
 支えをなくした橋は、風にあおられ川に落ちてしまいました。
 橋を修復できる職人は浮名村にはおらず、迂回するにも
 勘を頼りに道なき道をずっと進まねばならないとのことでした。
 約束の日に遅れ、御水雲様のご機嫌を損ねただろう。
 後からノコノコと顔を出してもどんな仕打ちがあるか分からない。
 大人たちは、村のまんなかに昔から立っている大木を
 勧請木ということにして、新しい神様をお迎えすることに決めました。
 ですが、実りあるどころか収穫はみるみる減っていくようでした。
 今年は例年になく寒い日が続き、備えもなく、みんな困っています。
 大人はみんな、まだ新しい神様を信じているようでしたが、
 わたしは、お母さんや弟が痩せこける姿をこれ以上見たくありません。
 お供えできる作物がないですので、代わりにわたしの体をお捧げします。
 これで勘弁していただいて、どうか村をお救いください。

娘は話し終えると、手に握っていた鋭い枝の切れ端で喉元を掻っ切り、
神木の根っこに寄りかかるようにして倒れ伏せた。

御水雲様はすっかり目を覚ますと、この娘を憐れに思ったので、
彼女の亡骸に入り、体を借りて山を降り、村の様子を見ることにした。

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浮名村の大人たちは、村の中心にそびえる巨木に向かって
なけなしの作物を貢ぎながら、熱心に祈りを捧げているようだった。
御水雲様はとてもおかしなものを見ている気分になった。
変に縄を縛りくくられたあの老木には、なにも住んではいない。

みればなるほど、浮名村の人々は長らく霊妙のご利益に頼りきり、
いざというとき、己の力でなんとかする気概を失ってしまったのだろう。

自責の念に駆られた御水雲様は、一芝居打つことにした。
祈祷の童子に身なりを変え、大人たちの間に入って出るとこう告げた。

 お前たちはすっかり騙されているようだ。
 この地にみのりの神などはじめからおらぬ。
 いるのは、大飯食らいの化かし妖怪が一匹のみ。
 こいつは神々を騙って田舎の人間に取り入り、
 供物として食いものをまんまとせしめる類よ。
 どうやら、お前たちが放ったらかしにしたのが功を奏したようじゃ。
 腹を空かせた彼奴は痺れを切らし、今晩にも山を降りて来よる。
 その木の麓に供え物をありったけ置いておくことだ。
 獲物がかかったら、化けの皮を剥がすがよい。

大人たちは半信半疑だったが、結局、
神妙なこの童子に気圧されるものを感じて、言う通りにした。

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御水雲様はいったん村落を離れると、今度は妖怪の姿に変化した。
依り代となっている娘の体から大きく変化することはできないため、
髪の色形を変え、瞳を真っ赤に光らせ、角と牙を生やしてみせた。

その日の夜が更けるころ。
大人たちがみな物影に隠れて様子を窺っていると、
見慣れぬ子供のような、しかし明らかに人ではないいきものが、
勧請木の足元にぬらくらと姿を現した。
それが置かれた供え物を口のなかに放り込み始めたので、
すぐに件の妖怪だと勘づいた大人たちは、
稲刈鎌や三本鍬、千歯こぎなどを手に背後から躍りかかると、
沸き立つ怒りに勢いまかせて容赦なく妖怪の体に突き立てた。
さらに足首を掴んで木から引き摺りはなすと、
手足に杭を打ち込み、そのまま仰向けに転がし、腹を裂いた。
すると、妖怪の腹のなかから、たくさんの作物が溢れ出てきた。
いままで散々騙し取られてきた村の収穫物に違いない。
大人たちが眼前に広がる一種異様な奇跡に我を失っていたとき。
この化け物退治に参加していたとある二児の母親は、
屠られる妖怪を見ているうち、ふと、この妖怪と、
何日も前に姿を消した我が子の姿が重なったように思えて、
一寸の隙に妖怪の手足の杭を抜きとってやった。
妖怪はこの機とばかりにさっと跳び起き、
ぐちゃぐちゃになった肢体のまま山の方へと逃げ去っていった。

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浮名村一帯が、妖怪から奪い返した大量の作物に歓喜しているころ、
すっかり活気づいた人々の様子を山のたもとから見届けると、
御水雲様はがんらい己の住処であった神木のもとへと戻った。

娘の体から抜け、霊体となって再び木のなかへ宿ると、
すぐに腹の虫が鳴いて腹の減ったことを知らせてきたが、
もはやしかたのないことだと我慢することにした。
妖怪の姿で浮名村の大人たちに腹を裂かれたとき、
己の"満腹"と引き換えに、これまで腹にためこんできた
食い物すべてをそこに置いてきたからだ。
娘の命という供え物にたいする、最後のご利益であった。

どうにもこうにも腹が空いてしょうがないので、
御水雲様はまたしばらく眠って過すことにした。

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幾年か経って、ついに空腹を睡魔で誤魔化せなくなって目覚めると、
まもなく、体中をめぐる違和感に気がついた。
霊体であるはずの己が、再び娘の体のなかにいるのだ。
それどころか、姿かたちはあのとき化けた妖怪そのものだった。
寝ぼけてこんなことをしたのか、己の仕業かと勘繰っていると、
聞き覚えのない声が耳に飛び込んできた。

 あんたが妖怪の新入りかい?
 あたいは、ここらへんを流れる風の妖怪さ。
 ずっと前からあんたのことを知ってたけれど、
 妖怪になったあんたを見るのはいまがはじめてだ。
 妖怪同士、やっと話が通じるようになったわけさね。

風の妖怪の話によると、どうやら寝ている間に、
己はすっかり神ではなくなってしまったようだ。
浮名村の人々が伝えた"大飯食らいの化かし妖怪"について、
噂話が諸国に広まったことが影響したらしい。
いまやみのりの御水雲様はこの世のどこにもいない嘘っぱちの存在。
いるのは化かし妖怪"ミモズク"だということだ。

聞くと、この妖怪は大層な大飯食らいで、
村一つ分の食糧をたいらげても決して満足しないほどだという。
そのため、全国各地の村落へ現われては、ご当地の神様を騙って
貢物を横取りせしめんとする厭らしい妖怪という話だった。

空腹を睡魔で誤魔化せなくなったのは、
妖怪ミモズクになり名実ともに大飯食らいとなったため、
より一層腹の減り具合が増したからに他ならなかった。

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ひもじさには慣れているのでさほど気にならないが、
しかし己の撒いた噂のせいで、
娘の姿を象った妖怪になってしまったのはどうも心を痛める。
どこか人目のつかぬ場所に移れぬものか。

最終的に、話しているまにすっかり意気投合した
風の妖怪の持ち掛け話を受けることにした。
人間たちの記録に残らない場所、異形のものどもの隠れ蓑、
"伏魔"の地があるという森を目指して、
妖怪ミモズクは人の世から姿を消した。

紅葉燦然と輝く、ある実りの秋のことだった。

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いまでは、伏魔の地のどこかで、食っても食ってもすぐ腹ペコになる
大飯食らいの大妖怪"ミモズクサマ"として、
妖怪ともいえぬ異形のものたちから日々飯をせびっては、
お返しにちょっとしたご利益をもたらしているとか、いないとか。



*附録
風の妖怪"オソヨ"は、この一部始終を見ていた。
燦然橋のつるを切って落としたのは己の仕業だった。
大嵐のおかげであんまりにも調子がよかったため、
ちょっといたずらしてみたくなったのだ。

風は得てして気まぐれ薄情、流れるままのお調子者。
己のしたことは次吹くときには忘れるし、何事も風まかせ。
そんな風の妖怪である己が、いま一匹の妖怪に
ちょっかいを出すどころか、つきそって世話を焼こうという。
まことおかしな話にちがいない。風の噂になったら笑いものだ。

とはいえ、誰かの行く先を導くそよ風となって吹いてみる、
こんな気まぐれも、たまには悪くないかもしれない。
そんなふうにオソヨは思うのだった。